2009年09月12日10:48
三ヶ日町 姫街道 釣橋川 親水公園 です。
ここの親水公園には、いろいろな案内看板があります。
姫街道の案内板(大)、 あと・・小さな案内板があり、そこに
姫街道の説明が記されています。
【姫街道案内板(大)】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この街道は、万葉集にのっている防人たちの歌から、
当時からすでに東西を結ぶ主要街道であったことが分かります。
江戸時代には、「 東海道本坂越 (道) 」 と公称され、
東海道の脇街道として大きな役目を果たしてきました。
幕末になって、姫様街道などの名が古文書に見えてきます。
『 姫街道 』 の名称由来については、
「 古い街道を意味する 『 ひね街道 』 」
「 お姫様が多く通った街道だから 『 姫街道 』 」
などの説が言われています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
案内板(小) より引用
【姫街道を歩いた象の案内板】
姫街道は、象も通ったんですね~
◆ 象鳴き坂
http://rebox.hamazo.tv/e889833.html
☆ 象の行列の様子が博物館にあります。
リンク先 一宮市尾西歴史民俗資料館
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/1278bisai.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
かろうじて江戸に着いた象は将軍と対面。吉宗は江戸城大広間から象を見た
という記録が『徳川実記』に残されています。
その後、しばらく浜離宮で飼育されたが、食料にかかった費用が莫大であったり、
番人を殺すなどの事故があったため、4年後の享保17年(1732)に幕府直営の
象舎が中野に造られた。押立村の平右衛門、中野村の源助、柏木村の弥兵衛
の三名が世話にあたることになった。やがて民間に払い下げられ見世物小屋
の人気の動物となりました。巷には色々な著作や双六まで出版された。
『象誌』『象のみつぎ』『馴象談』『馴象俗談』などの本です。
日本に来て21年後、寛延2年(1749)に死亡。皮は剥がされ、頭蓋骨と牙、
鼻の皮が源助に与えられた、これが中野宝仙寺に伝わる
『馴象之枯骨』(じゅんぞうのここつ)でした。鼻の皮の一部も残されていました。
しかし、戦災にあい焼失しました。
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リンク先 一宮市尾西歴史民俗資料館より引用
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/1278bisai.html
【三ヶ日町の案内看板】
地図はこちら
2009/09/12 釣橋川 親水公園
2009/06/17 片山竹茂
2009/06/11 大里のお虎狐
2009/05/22 代官屋敷
2009/04/21 ほうづき駅跡
2009/04/17 三ヶ日今昔
2009/04/10 三ヶ日郵便局
2009/02/24 本坂一里塚
2009/02/15 鏡岩
2009/01/22 大里峠
2008/11/26 東名で分断された姫街道2
2008/11/01 宇志高札場跡
2008/10/09 宇志茶屋跡
2008/09/21 東名で分断された姫街道
2008/09/07 大谷茶屋跡
2008/09/01 三ヶ日伝馬問屋跡
2008/08/11 三ヶ日宿 本陣跡
2008/06/22 白山神社
2008/04/28 本坂トンネル
2008/04/04 駒場の庚申堂
2008/03/27 朱が映えます
2008/03/13 日々沢常夜灯
2008/02/22 殿畑遺跡
2008/02/17 華蔵寺
2008/02/06 本坂秋葉灯篭
2008/01/23 本坂関所跡
2007/11/19 石投げ岩
2007/11/15 象鳴き坂
2007/11/09 本坂 弘法堂
2007/10/24 引佐峠
2007/08/09 六部様
2007/08/07 大谷の一里塚
2007/07/30 姫街道三ヶ日一里塚
2007/06/06 姫街道資料館
2007/03/20 ジャアナ「蛇穴」
2007/03/06 本坂一里塚
2007/03/03 心霊スポット?本坂トンネル
2007/02/08 椿の原生林
2007/02/03 橘逸勢神社
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カテゴリー │ 三ヶ日町の姫街道
三ヶ日町 姫街道 釣橋川 親水公園 です。
ここの親水公園には、いろいろな案内看板があります。
姫街道の案内板(大)、 あと・・小さな案内板があり、そこに
姫街道の説明が記されています。
【姫街道案内板(大)】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この街道は、万葉集にのっている防人たちの歌から、
当時からすでに東西を結ぶ主要街道であったことが分かります。
江戸時代には、「 東海道本坂越 (道) 」 と公称され、
東海道の脇街道として大きな役目を果たしてきました。
幕末になって、姫様街道などの名が古文書に見えてきます。
『 姫街道 』 の名称由来については、
「 古い街道を意味する 『 ひね街道 』 」
「 お姫様が多く通った街道だから 『 姫街道 』 」
などの説が言われています。
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案内板(小) より引用
【姫街道を歩いた象の案内板】
姫街道は、象も通ったんですね~
◆ 象鳴き坂
http://rebox.hamazo.tv/e889833.html
☆ 象の行列の様子が博物館にあります。
リンク先 一宮市尾西歴史民俗資料館
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/1278bisai.html
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かろうじて江戸に着いた象は将軍と対面。吉宗は江戸城大広間から象を見た
という記録が『徳川実記』に残されています。
その後、しばらく浜離宮で飼育されたが、食料にかかった費用が莫大であったり、
番人を殺すなどの事故があったため、4年後の享保17年(1732)に幕府直営の
象舎が中野に造られた。押立村の平右衛門、中野村の源助、柏木村の弥兵衛
の三名が世話にあたることになった。やがて民間に払い下げられ見世物小屋
の人気の動物となりました。巷には色々な著作や双六まで出版された。
『象誌』『象のみつぎ』『馴象談』『馴象俗談』などの本です。
日本に来て21年後、寛延2年(1749)に死亡。皮は剥がされ、頭蓋骨と牙、
鼻の皮が源助に与えられた、これが中野宝仙寺に伝わる
『馴象之枯骨』(じゅんぞうのここつ)でした。鼻の皮の一部も残されていました。
しかし、戦災にあい焼失しました。
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リンク先 一宮市尾西歴史民俗資料館より引用
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/1278bisai.html
【三ヶ日町の案内看板】
地図はこちら
◆ 三ヶ日町の 姫街道 シリーズ
2009/09/12 釣橋川 親水公園
2009/06/17 片山竹茂
2009/06/11 大里のお虎狐
2009/05/22 代官屋敷
2009/04/21 ほうづき駅跡
2009/04/17 三ヶ日今昔
2009/04/10 三ヶ日郵便局
2009/02/24 本坂一里塚
2009/02/15 鏡岩
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2008/11/26 東名で分断された姫街道2
2008/11/01 宇志高札場跡
2008/10/09 宇志茶屋跡
2008/09/21 東名で分断された姫街道
2008/09/07 大谷茶屋跡
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2008/06/22 白山神社
2008/04/28 本坂トンネル
2008/04/04 駒場の庚申堂
2008/03/27 朱が映えます
2008/03/13 日々沢常夜灯
2008/02/22 殿畑遺跡
2008/02/17 華蔵寺
2008/02/06 本坂秋葉灯篭
2008/01/23 本坂関所跡
2007/11/19 石投げ岩
2007/11/15 象鳴き坂
2007/11/09 本坂 弘法堂
2007/10/24 引佐峠
2007/08/09 六部様
2007/08/07 大谷の一里塚
2007/07/30 姫街道三ヶ日一里塚
2007/06/06 姫街道資料館
2007/03/20 ジャアナ「蛇穴」
2007/03/06 本坂一里塚
2007/03/03 心霊スポット?本坂トンネル
2007/02/08 椿の原生林
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