2013年01月19日15:37
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死んだらどこへ行く・・?≫
カテゴリー │◆ 考え方・生き方・住まい
昨日、葬式がありました。 近所のおばあさんで、92歳だったとのことです。
92歳ですので・・寿命をまっとうした・・・ということになるんでしょうね~
葬儀は、淡々と進みました。
葬式があると、いつも考えることなんですが、人間の魂はどこから来ているのか?
そんなことを、いつも考えさせられます。 死とはどういう事なのか・・?
魂が体から離れるとは・・? 意識と魂は同じなのか違うのか・・・?
魂は体のどこに宿るのか・・? そもそも魂は、体になど宿ってはいないのではないのか・・?
◆ お葬式
http://rebox.hamazo.tv/e3292052.html
◆ 弁証法(肉体は、無 であり 空である存在)
http://rebox.hamazo.tv/e3262610.html
【大崎海岸沿いの朝陽】

「死」については、わからない未知のことばかりですので、 その道の専門家が、
こういうものなんだ、とか こういう実験データが出ている・・・
なんてことを言われれば、あぁ~そうなんだ~そういうことかぁ~
なんて、すぐに納得させられてしまいます。 ま~ そりゃ、そうですよね~
死んでみなけりゃわからないような世界を、生きているうちに、あ~だ、こ~だ言ってみたところで、
所詮想像の世界でしかありません。 こういうものなんだ!!なんて、強く肯定されれば
あぁ・・そうですか・・・といわざるを得ません。
【大崎海岸沿いの朝陽】

自分にとっては、「あの世」が想像の世界でも、実際に臨死体験した人の言葉とか体験談・・・
実験データなどを見てみると、なるほどな~と、ホントに、その世界が(あの世)があるような
錯覚に陥るときがあります。 あの世・・天国・・? 地獄?、そんなものあるわけがない・・・
普通はそのように考えがちですが、こんな話を聞くと・・・もしかしたら、あの世・・? あるかも・・?
なんて思っちゃいますね~
輪廻体験―過去世を見た人々の証言
【大崎海岸沿いの朝陽】

大昔より、「人間の死」 について解かれた教典があるとのことです。
エジプト と チベットに 「死者の書」 なるものがあって、
人間の死を解いているとのことですね~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「チベット死者の書」 は、チベット語で書かれた経典
http://www.ghibli.jp/tibet/bardo/
① まず最初に、死に瀕している人の魂が肉体から離れて浮遊する。
② 魂は、喜ばしい気持ちに包まれ、空間にいることに気づく。が、意識ははっきりしている。
そして、驚くほど大きな騒音や響きが聞こえる。これらは、唸るような音だったり、ゴーゴーと
響くような音、あるいは、風が空を切るヒューというような音など、いろいろな場合がある。
また、自分自身や周りの景色が、灰色の電気のような明かりに包まれているのに気づくだろう。
③ 死者は自分の肉体から離れ、自分自身の死体を見ているのに気づいて驚く。
そして、親類や友人たちが嘆き悲しみ、葬式の準備をしたりしているのを見ることになる。
死者はこうした人たちに、呼びかけたり話しかけようとするが、何の反応もない。
どうやら向こうからは、こちらからの姿は見えず、声も聞こえないらしいと感じて、焦る。
④ 多くの場合、死者はまだ自分が死んだことに気づかず、なぜこのようなことになっているかの
状況がつかめず、混乱している。自分は死んでしまったのか、それともまだ死んでいないのか、
と自問自答しながら、困惑する。
⑤ そして最後に、ようやく、自分が死んだことに納得すると、今度は、これからどこへ行くのか、
何をしたらよいのか、と戸惑ってしまう。同時に、生きている間に、もっとしておくべきことが
たくさんあったことに気づき、ひじょうに強い後悔の念にとらわれる。
魂はこうした状態のまま、しばらくは自分の死体の周りにとどまっている。
⑥ 次に魂は、目の前に横たわっている死体とは別に、まったく同じ姿をした光り輝く肉体を
まとっていることに気づいてびっくりする。ただし、この肉体は、物質からできているものでは
ないらしい。 家具や壁はもちろん、山のなかでさえ、何の抵抗もなく通り抜けてしまう。
どこかへ移動しようと考えると、一瞬のうちにそこへ行ってしまう。知覚がひじょうに明晰になり、
感覚はより鋭く、完璧になっていて、より自由な行動ができるようになっている。
⑦ 生前、目や耳、あるいは足が不自由だった人でも、この光の肉体のなかでは、すべての感覚が
正常に働くことを知って驚く。そして、自分と同じような光の肉体をまとった人々や、
「純粋な光」と呼ばれている、真の光そのものに出会う。
⑧ こうした光に近づくときは、他人に対する愛と、慈悲深い心を抱くようにしたほうがよい。
そうすれば魂は、光のなかで限りない安らぎと充足感、至福感に包まれるだろう。
⑨ また、その人間が一生の間におこなったすべての行為が、一瞬のうちに「鏡」に映し出される。
この鏡の前では、嘘をつくことはできない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上記文章引用
【大崎海岸沿いの朝陽】

死ぬと・・体は焼かれて灰となり形は変わっても物質は不滅なのに、魂は・・?
人の心は何処へ行くのでしょうか? 初めから無かったのだろうか、それとも死と同時に
肉体が活動を終止し、魂が孤立し肉体が魂を表現する力を失うだけで、私たちの目には
見えない世界で、手に触る事の出来ない世界で、この大宇宙の空間に無形の因子として浮遊
するのでしょうか? 万一そうであるならば・・・ 霊魂の不滅説も物質不滅の原理と相対的に
わかるような気がします。 いかに科学が発達しても、魂の証明は難しいでしょう・・・
それは、物質の限界を超えた・・・無の世界の現象だからかもしれません・・・?
【大崎海岸沿いの朝陽】

この 『死者の書』 に書かれている内容は、「臨死体験」 をした人々によって語られるそれと、
驚くほど一致しているそうです。
http://www.metamedica.com/news2001/2001121501.html
臨死体験を説明するには、 「意識や記憶が脳に局在するという、これまで前提とされてきたものの
証明されていない概念」を、あらためて議論すべきだと述べている。
つまり、ひとの意識や記憶は、その人の脳の内部に閉じ込められているばかりではなく、
脳の外部に越えて存在する場合があり、臨死体験で見られる 「体外離脱経験」 も、
そのために起こるのではないかということです。
意識や魂というものが・・・体の外の違う次元に存在する・・・? う~~ん・・どうでしょう・・?
◆ 臨死体験 ~ 死という究極のオルガズム
http://x51.org/x/03/12/1016.php
92歳ですので・・寿命をまっとうした・・・ということになるんでしょうね~
葬儀は、淡々と進みました。
葬式があると、いつも考えることなんですが、人間の魂はどこから来ているのか?
そんなことを、いつも考えさせられます。 死とはどういう事なのか・・?
魂が体から離れるとは・・? 意識と魂は同じなのか違うのか・・・?
魂は体のどこに宿るのか・・? そもそも魂は、体になど宿ってはいないのではないのか・・?
◆ お葬式
http://rebox.hamazo.tv/e3292052.html
◆ 弁証法(肉体は、無 であり 空である存在)
http://rebox.hamazo.tv/e3262610.html
【大崎海岸沿いの朝陽】

「死」については、わからない未知のことばかりですので、 その道の専門家が、
こういうものなんだ、とか こういう実験データが出ている・・・
なんてことを言われれば、あぁ~そうなんだ~そういうことかぁ~
なんて、すぐに納得させられてしまいます。 ま~ そりゃ、そうですよね~
死んでみなけりゃわからないような世界を、生きているうちに、あ~だ、こ~だ言ってみたところで、
所詮想像の世界でしかありません。 こういうものなんだ!!なんて、強く肯定されれば
あぁ・・そうですか・・・といわざるを得ません。
【大崎海岸沿いの朝陽】

自分にとっては、「あの世」が想像の世界でも、実際に臨死体験した人の言葉とか体験談・・・
実験データなどを見てみると、なるほどな~と、ホントに、その世界が(あの世)があるような
錯覚に陥るときがあります。 あの世・・天国・・? 地獄?、そんなものあるわけがない・・・
普通はそのように考えがちですが、こんな話を聞くと・・・もしかしたら、あの世・・? あるかも・・?
なんて思っちゃいますね~

輪廻体験―過去世を見た人々の証言
【大崎海岸沿いの朝陽】

大昔より、「人間の死」 について解かれた教典があるとのことです。
エジプト と チベットに 「死者の書」 なるものがあって、
人間の死を解いているとのことですね~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「チベット死者の書」 は、チベット語で書かれた経典
http://www.ghibli.jp/tibet/bardo/
① まず最初に、死に瀕している人の魂が肉体から離れて浮遊する。
② 魂は、喜ばしい気持ちに包まれ、空間にいることに気づく。が、意識ははっきりしている。
そして、驚くほど大きな騒音や響きが聞こえる。これらは、唸るような音だったり、ゴーゴーと
響くような音、あるいは、風が空を切るヒューというような音など、いろいろな場合がある。
また、自分自身や周りの景色が、灰色の電気のような明かりに包まれているのに気づくだろう。
③ 死者は自分の肉体から離れ、自分自身の死体を見ているのに気づいて驚く。
そして、親類や友人たちが嘆き悲しみ、葬式の準備をしたりしているのを見ることになる。
死者はこうした人たちに、呼びかけたり話しかけようとするが、何の反応もない。
どうやら向こうからは、こちらからの姿は見えず、声も聞こえないらしいと感じて、焦る。
④ 多くの場合、死者はまだ自分が死んだことに気づかず、なぜこのようなことになっているかの
状況がつかめず、混乱している。自分は死んでしまったのか、それともまだ死んでいないのか、
と自問自答しながら、困惑する。
⑤ そして最後に、ようやく、自分が死んだことに納得すると、今度は、これからどこへ行くのか、
何をしたらよいのか、と戸惑ってしまう。同時に、生きている間に、もっとしておくべきことが
たくさんあったことに気づき、ひじょうに強い後悔の念にとらわれる。
魂はこうした状態のまま、しばらくは自分の死体の周りにとどまっている。
⑥ 次に魂は、目の前に横たわっている死体とは別に、まったく同じ姿をした光り輝く肉体を
まとっていることに気づいてびっくりする。ただし、この肉体は、物質からできているものでは
ないらしい。 家具や壁はもちろん、山のなかでさえ、何の抵抗もなく通り抜けてしまう。
どこかへ移動しようと考えると、一瞬のうちにそこへ行ってしまう。知覚がひじょうに明晰になり、
感覚はより鋭く、完璧になっていて、より自由な行動ができるようになっている。
⑦ 生前、目や耳、あるいは足が不自由だった人でも、この光の肉体のなかでは、すべての感覚が
正常に働くことを知って驚く。そして、自分と同じような光の肉体をまとった人々や、
「純粋な光」と呼ばれている、真の光そのものに出会う。
⑧ こうした光に近づくときは、他人に対する愛と、慈悲深い心を抱くようにしたほうがよい。
そうすれば魂は、光のなかで限りない安らぎと充足感、至福感に包まれるだろう。
⑨ また、その人間が一生の間におこなったすべての行為が、一瞬のうちに「鏡」に映し出される。
この鏡の前では、嘘をつくことはできない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上記文章引用
【大崎海岸沿いの朝陽】

死ぬと・・体は焼かれて灰となり形は変わっても物質は不滅なのに、魂は・・?
人の心は何処へ行くのでしょうか? 初めから無かったのだろうか、それとも死と同時に
肉体が活動を終止し、魂が孤立し肉体が魂を表現する力を失うだけで、私たちの目には
見えない世界で、手に触る事の出来ない世界で、この大宇宙の空間に無形の因子として浮遊
するのでしょうか? 万一そうであるならば・・・ 霊魂の不滅説も物質不滅の原理と相対的に
わかるような気がします。 いかに科学が発達しても、魂の証明は難しいでしょう・・・
それは、物質の限界を超えた・・・無の世界の現象だからかもしれません・・・?
【大崎海岸沿いの朝陽】

この 『死者の書』 に書かれている内容は、「臨死体験」 をした人々によって語られるそれと、
驚くほど一致しているそうです。
http://www.metamedica.com/news2001/2001121501.html
臨死体験を説明するには、 「意識や記憶が脳に局在するという、これまで前提とされてきたものの
証明されていない概念」を、あらためて議論すべきだと述べている。
つまり、ひとの意識や記憶は、その人の脳の内部に閉じ込められているばかりではなく、
脳の外部に越えて存在する場合があり、臨死体験で見られる 「体外離脱経験」 も、
そのために起こるのではないかということです。
意識や魂というものが・・・体の外の違う次元に存在する・・・? う~~ん・・どうでしょう・・?
◆ 臨死体験 ~ 死という究極のオルガズム
http://x51.org/x/03/12/1016.php
◆木造のユニットハウスなんてどうかな 新着記事
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