雲水

rebox

2016年12月31日 16:30





今年も終わりですね~・・・今日は、大晦日です。

年末になると、忙しさの中、いろいろな考え方・・・思いが頭をよぎります。

今まで生きてきた五十年チョット・・・いろいろ経験してきて、

いろいろ知識も得ました。

生きるための工夫や、資格、経験、お金、家族、友人知人、会社、組織、グループ

仲間・・・そういった自分の財産とも言うべき様々な自分の持っているモノ

それらが時として自分の行動をごまかしてしまう事があります。








「オレの経験上そんなことは絶対にやらん・・・」 

とか・・

「オレは、これをするためにこんなに努力してきたんだ、

今更変更するなんて出来ない・・」

とか・・・

「知識や経験上、そんなことは無駄で、無利益だ・・・なんの得にもならん・・」

とか・・・

いろいろなこだわりも、持ち合わせているような年頃にもなってきました。(笑)

いい面もあるんですが、やはり何か・・足りないような・・・そんな満足感というか

なんというか・・楽しさ・・幸福感・・・充実感のような・・・そんなワクワクするような

感じが薄れてきたようにも感じます。

「そんなもの、歳をとってくれば誰でもあたりまえに感じることだよ・・・」

なんてことを言われる方もいますが・・・

来年は・・・そこにあえて挑戦・・・(笑)








そんな来年・・・2017年においての自身の指標として

「謙虚な心」 を決めたいと思います。

「謙虚な心」=「雲水の心」

雲水とは・・・行く雲と流れる水(雲がどことさだめなく行き、

水が流れてやまないように)

諸国を修行して歩く僧・・・と書いてあります。

本物の修行僧の 「雲水」 になるのではなく、

雲水のごとく謙虚さを持つということです。

まさに修行僧のごとく

50歳のおっさんは、世間的に見ても 「いい大人としてみられます」

そんなとき、どうしても偉そうに、自分の経験だとか知識を知ったかぶりでも

説明しようとしたり、相手を説き伏せようとしたりもします。

説教もするでしょう・・・どうしても、偉そうな田舎のおっさん。

になってしまう自分がいます。

そんな自分が、「雲水」 の心持ちで生きていくのは

意識していないとなかなか出来ません。

「謙虚な心・・」 言葉では簡単に言えますし、書くことも出来ます。

しかし、いざ実践となると、本当にいろいろな自分の感情・・思考・・経験が

邪魔をして、なかなか謙虚になれない自分がいることに気づきます。

そんな、気づきが重要なんだなぁ~・・とあらためて見つめ直し、謙虚な心を

実践していきたいと思っています。








あらためて・・雲水とは・・・

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私達は、自分自身でどうにもならない 「我」 というものを、

誰でも強く持っています。 自分にへばりついて離れない 「我」・「面子」

「プライド」。 これらは、時には「命」よりも大事にしたくなるほど、

強烈な存在です。 この 「我」 というものが、お世話になるお寺にも出てしまう

ものです。

例えば、ある 「雲水」 が、本山で正式な修行をしたことがあるとします。

ところが、お世話になる地方のあるお寺が、本山の正式なスタイル・しきたり

と違うとき、とやかく偉そうに言いたくなるクセが私たちにはあります。

そういう 「我」 を全て放擲して、ここのお寺のしきたりや、住職の指導に完全

に従います。 という心境になるために、この形式はどうしても必要になります。

1週間、冷たく断られ続けても、なお、頭を下げてお願いし続けます。

外の冷たさや空腹に耐えながら、許しを請ううちに、寺の中で修行させて

いただけることの 「ありがたさ」 を、心の底から思えるようになるのものです。







もしこのとき、物なりお金なりの蓄えがあるとき、私達は 「それならば結構です」

という心境になるものです。 謙虚になるよりも、自分の 「我」

を通すことを優先してしまいます。

どんなに意地を通したくても、意地を通すだけの財力が無ければ、

意地を通すこともできません。 そこで初めて 「謙虚な自分」 と向き合うこと

になります。

私達は困りきっているときはどんなものでもありがたいのに、

少し余裕が出てくると、自分の 「好み・気分」 を優先してしまい勝ちです。

そして、自分の 「好みや気分」 に合致しないと、

相手の方の好意よりも自分の感情を優先して、変な 「我」

 「面子やプライド」 が顔を出して、腹を立てたり、人間関係を悪くしたりする

ものです。

お腹がすいているときは、おにぎりだけでもありがたいのに、裕福になると

かなりのご馳走でも、(好き嫌いや味付けなどの)チョッとした行き違いか

ら不愉快になることがあります。







「衣食足りて礼節を知る」 と言われてきましたが、

むしろ 「衣食が足りると、ますます礼節を忘れる」、

つまり、「有難さ・感謝の念」が薄れてしまうものです。

雲水が余計なものを何も持たないということこそが修行にとって大切な

条件です。 所有するものが少なければ少ないほど、「我」 を捨てて、

謙虚な自分にならざるを得ません。 私達はこのように自分を追い込まない

と謙虚になれないほど、強い 「我」 「業」 を持っています。

一個の人間と人間が向き合うという事は、一人の人間

そのもの(本質)と向き合うはずなのに、私達は、その人が身につけている

洋服であったり、学歴であったり、地位や財産などと向き合ってしまいがちです。

そのため社会的地位が高かったり、大きな財産を有していると、本人も周囲

もそのパワーが優先されてしまって、謙虚にはなかなかなれないものです。

何も持たずに生きることそのものが、ものすごい修行をしていることになります。

つまり 「雲水」 とは、「謙虚」 になるための修行方法です。

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上記文章引用
http://www005.upp.so-net.ne.jp/jikokaifuku/kotoba9.htm







最近、特に感じますが、自分より年下なんですが・・・

知識・経験・人格がすばらしい方達によく会います。

そんな時、自分のほうが知識が上だとか、経験が上だとか、

そんな判断を無意識の中で、頭で考えてしまうことがあります。

「オレだったら・・・そんなやり方はしない」・・・とか 

「若いから未熟だとか、経験不足だ・・・」 ・・・とか

そのように考えるのではなく、

一緒にやってみる、一緒に経験してみる、

一緒に考え方を理解する・・・そういった姿勢が大切なんだよなぁ~~

謙虚な心で、水が流れるかのごとく・・

雲の流れのように・・・意地をはらずに、流れを妨げず

流れのままに・・・謙虚に生きる。

そんな・・・来年の抱負、にしたいなぁ~なんて、緩く考えています。





千尋が 「油屋」 で修行したように・・・ 


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